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* 0724 更新滞りまくりすみませんな拍手レスです → しかも久々の更新が無駄に長いという |
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20050724
いち、にい、さんまのしっぽ、ごりらのむすこ。 頭の後ろでくるくると数え歌が廻り、コピー機のモーターがぐうぐうと啼く。なっぱ、はっぱ、くさったとうふ。 べろりと吐き出された紙が積み上がって行く。正確にリズムを刻み、ひとつの乱れも赦さない。黒いインクはほんのりと裏に透けて同じ位置に同じような黒が重なる。このリズムにぼんやりと身を任せていると、いつの間にかフロアのざわめきすら遠くなる。意識が揺れてそのまま白昼夢に迷い込んでしまいそうだ。 「菅前さん、終わった?」 ああ、はい、と脊髄反射で言葉を返して振り返ると、ベージュのスカートが視界を横切った。首を後ろへ向けている間に、すぐ隣でとんとん、と紙束を纏める音が鳴る。 「コピーが終わったらすぐこっちに渡してね」 柔らかな声が真っ直ぐ私の元へ伸びた。視線を向けると、緩いパーマの掛かった栗毛が上月さんの頬に垂れて表情を包んでいる。それを長い指でかき上げ、黒目の動きだけがふとこちらに向けられた。その目はとても深く鮮やかに潤んでいて、思わず喉の奥で言葉が詰まりそうになる。 「あ」 すみません、と言おうとするのに、声が奥で絡まって流れ出さない。上月さんは私に向かってゆらりと笑いかけ、そのまま靴のヒールを鳴らして背を向けた。 私の頭の後ろの方では、いつも音楽が流れている。美味しいご飯を食べて、満足したなあと思う時、何だかとても楽しげなメロディがからからと鳴る。ぼんやりと空を眺めて雲の切れ間を数えている時、ふわふわした音がぽつりぽつりと落ちて来る。そしてそんな私の頭はどうやら、とても普通に生活をして行くことには向いていないらしい。 「君はいつも人の話を聞かないなあ。聞く気がないよなあ」 と、学生時代にバイトしていた居酒屋の店長にぼやかれた。その当時一緒に住んでいた人は、お前と話してても一方通行でつまんないよ、と言って私を振り、別の女の所へ転がり込んだ。他人の言葉を聞き入れていない訳じゃない。ただ、私の中には言葉がリズムになって積み上げられていて、鳴り出すとそれだけで、何だか美しい快楽のようなものに満たされてしまうのだ。そして、それを享受することに溺れて自分の言葉を忘れてしまう。 「上月さん、美人ですよねえ」 海苔を噛み砕く乾燥した音を立ててコンビニのおにぎりに齧り付き、口をもごもごとさせながら小村井くんが声を吐く。 「そうだねえ」 「しかもデキルオンナって感じでしょう。すげえなあ、才色兼備で。マジ俺らのアイドルですよ」 口の中のもごもごを押し流すように、今度は勢い良くペットボトルのお茶を飲み始めた。 小村井くんはひとつ年下の後輩で、私たちは隣同士のデスクに座って仕事をしている。私が今年で三年目だから彼ももう二年目で、新入社員ではない筈なのにいつまでも学生のようなあどけなさが抜けない。何でもべらべらと良く喋り、笑顔と愛嬌で他人を都合良く操る術を知っている。給料日前だったり、お昼の時間が悠長に取れない時はこうしてデスクに座ったままお互いの昼食を済ませるので、数十分の少しの時間、私たちは取り止めのない会話をすることが多い。 「上月さんと付き合うような男ってどんなやつなんでしょうね。そういう人居るのかなあ。居なかったら俺、駄目もとで行っちゃってもいいんすけどね」 そう言うと、小村井くんは大袈裟に口を開けて笑った。 「そうねえ、まあ、恋愛って何が起こるか判らないしね」 合間を縫って流れた薄っぺらい言葉を、やっぱそうですかね、とやたら深刻に受け取ったらしい小村井くんとの間に生まれたぎこちない空気感が妙に可笑しくて、私の頭の中にまたひとつ、音階が零れ落ちて行った。 会社を出ると、空が遠くに群青の色合いを残していた。真上からは色濃く夜が襲い掛かろうとしているけれど、向うではビルの隙間から明るさが漏れる。 ヒールをアスファルトに打ち付けて歩く。自分の足で作り出す二拍子は意外と正確で、鼓動と調和しながら刻まれて行く。心臓の音は、最も古い音楽なんだろうと思う。二拍子のリズムは私に穏やかな心地を与えてくれる。家に帰ったら簡単な丼でも作って、下らないテレビ番組でも観ながら食べて、なるべく温めのお風呂に入ろう。 「菅前さん?」 かちかちと鳴る二拍子に割って入ったのは澄み切って響く柔らかな声だった。 「今帰り? お疲れ様」 スカートを翻してこちらへ歩いて来る上月さんは、群青色を背負って尚その輪郭を仄かに光らせている。 「上月さん、珍しいですね。いつも遅くまで残ってらっしゃるのに」 「うん、まあ、たまにはね、私にもノー残業デーがあっても良いかしらと思って」 仕事に大した熱意も持たず、それに相応する仕事しか任せて貰えていない私と違って、上月さんはほぼ毎日残業を繰り返している。誰よりも早く出社し、誰よりも遅く帰っている、というのが専ら課内での言い草だった。 「菅前さんバス? じゃあ停留所まで一緒に歩きましょうか」 はあ、という脆弱な声が、私の中から薄く伸びた。一瞬、その声が上月さんの気を悪くさせないかしらという常識的な考えが頭の上を通り過ぎたけれど、上月さんは何を気にすることもなく軽快に歩いて行く。上月さんの高いヒールと、私のぺたんこなヒールが同じ拍子を奏でて高低の和音になる。 「菅前さんってさ」 歩みの調子を合わせようと下ばかり向いていた首の後ろへ名前が呼び掛けられた。驚いてまた声が、はあ、という間の抜けた言葉に摩り替わる。 「何かゆらゆらしてて、いいよね」 「ゆらゆら?」 「何だろう、何にも縛られてない感じがして。あ、ごめん、気楽でいいよね、っていう表現とはまた別物なの。自然体だなあと思うのよ」 「ああ、はあ」 何度目かの「はあ」に対して、上月さんは、そういうところがいいと思うの、と母親のような顔をして笑った。 上月さんの笑顔はとても整った造形をしていて、薄く影を落とす長めの前髪が顔立ちの調和に色を付けている。それは女でも見蕩れてしまう華やかさだけれど、私は、ひとつの歪みもない上月さんの表情が余り好きになれなかった。単なる醜い女の僻みも篭っているのだろうと思いながら、それでも何処となく、高みから見下ろすような傲慢さが表情の隙間に入り組んでいる気がしていたのだ。彼女のきりりと上がった唇から漏れるその言葉は、だからとても違和感があって肉体にまで浸透しない。私の目の前でそのまま空気に溶け込んでしまいそうになる。 「今日ね、コピー取る時何か鼻歌みたいなもの歌ってなかった?」 「ああ」 少し日常を遡って、数時間前にもう閉じ込められてしまった音を引き出しから取り出す。 「数え歌なんです。子供の頃歌いませんでした? いち、にい、さんまのしっぽ、っていう。全国的に広まったわけじゃないのかも知れないんですけど、昔すごく流行ってて。急にそれ思い出したんです」 「ううん、知らないなあ。世代の差かもね」 「ごりらのむすこ、なっぱ、はっぱ、くさったとうふ、って続くんですよ。くさったとうふ、で締めるなんて、子供のボキャブラリーのなさが出てて、素朴で馬鹿馬鹿しくて何かいいなあと思いません?」 そう言うと、上月さんは一瞬口をぼうっと開いて、その後すぐに高い声でふわりと笑い出した。 「それ、歌ってたんだ、仕事中に?」 停留所の前で足を止めると、私はまた、はあ、と呟くしかなかった。 「何か、頭の中でよく歌が廻るんです。歌じゃなくてもメロディだったりするんですけど」 「へえ」 もう夜が落とされた道の向うから、熱い灯りを瞬かせてバスが遣って来る。停留所の手前で速度を落とし、ぐわんと弧を描いて歩道へ寄った。空気の抜けるような音を吐き出してドアが開く。「市役所方面行き」のバスには上月さんが乗る筈だ。 「その歌、歌うと何か幸せな気分になれそう。またいい歌が流れたら教えてね」 上月さんはまたふわりと笑い、私に向かって軽く手を振ると、スカートの裾を揺らしてバスに乗り込んだ。 重い腰を上げるようにバスが前進を始める。煌々と照らされた車内に上月さんの姿はもう見えなくなっていて、私は見知らぬ人の横顔をぼんやりと眺めながらそれを見送った。適当に丼でも作ろうかと思っていたけれど、何となく、今日は一人でちゃんと美味しいものを食べたいなあという言葉がぱっと浮き出して来て、停留所を背にするとそのまま繁華街の方向へ足を向けた。ぺたんこのヒールはそれだけでかちかちと鳴る。少しだけ奮発して、イタリアンのディナーでも頂こう、と思った。 次の日、会社へ行くと小村井くんが過剰に慌てた素振りを見せて、上月さん会社辞めたらしいですよ、とわあわあ叫んでいた。椅子から滑り落ちそうになりながら、ショックだー、という科白を繰り返し呟いている。私はいつものようにふうん、と声を漏らして、この人本当にそこまで衝撃を受けてるのかしら、と思う。小村井くんは何をしていても何処か芝居がかっていて可笑しい。 また、頭の後ろで歌が廻り出す。古いレコードのようにくぐもって、神経をちりちりと鳴らす。華やかで、でもとても穏やかな歌だった。 デスクのパソコンを立ち上げながら、この歌を今度は小村井くんに聴かせてあげようかしら、という言葉が意識の遠くでぼうっと流れて行った。 |
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